ハイクラスなメンズ向けのファッション情報を提供するブロガーのジーマ(@ziima_fashion)です!
81年に賛否両論のコレクションをパリで行ってい以降、媚びない骨太な姿勢を貫き通す、ファッション界の永遠の異端児山本耀司。
日本モード界の重鎮であり、世界で最も影響力の強いデザイナーとしても知られています。
現在、自身がローンチしたシグネチャーブランドのヨウジヤマモトを始め、アディダスとのコラボレーションにより誕生したY-3のデザイナーも務める山本耀司氏。
日本のモード界をリードする世界的デザイナーの山本耀司氏について今回は迫ります。
山本耀司(ヤマモトヨウジ)とは?
1943年東京生れのファッションデザイナー
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山本耀司氏は1943年に東京で生まれます。
実家はオーダーメイドを専門の洋装店。
山本耀司氏の母親は、戦争で旦那を亡くし、女手一つで育てるために為に、2年間文化服装学院へ通い、洋装店を開いたそうです。
しかし、当時はファッションデザイナーなることは全く考えていなかったそうです。
「母は猛烈に働いていた。アイロンの匂いとミシンの音が大嫌いだった」とインタビューでは答えています。
慶應義塾大学の法学部へ進学
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弁護士を目指して法律の勉強をしていた時期があると語る山本耀司氏。
山本耀司氏は慶應義塾大学の法学部を卒業した秀才です。
しかし、大学卒業後は法律家を目指すことなく、母親と同じ文化服装学院へ入学します。
文服装学院へ入学した理由について「人生についての執行猶予が欲しかったから」と答えています。
1969年に文化服装学院を卒業、同年に「装苑賞」「遠藤賞」を受賞し、パリで1年間過ごします。
1960年代後半のパリはオートクチュールから プレタポルテ へトレンドが移行する変わる創成期。
それを目の当たりにした山本耀司氏はかなり衝撃を受けたと同時に、自身も高級既成服を手掛けることを決意します。
1972年株式会社ワイズ設立
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帰国後、新宿にある母親の洋装店を手伝う中で、「メンズライクなウェアを女性に着せたい」との思いからブランドをスタートさせます。
「母親は反対していた」と当時を振り返る山本耀司氏。しかし、最愛の母と同じ服飾の世界で生きていくことを決意し、1972年にワイズを設立させます。
黒を基調とし、レイヤードをスタイルを多用するアシンメトリーなワードローブは、それまでのレディース プレタポルテ の常識を覆しました。
身体にフィットする服こそが美しく素晴らしい服であると信じられていた1970年代の日本で、山本耀司氏の手掛けるワードローブを、不格好に感じるファッショニスタが多かったことは事実です。
しかし、ワイズはデザイナーやスタイリストを目指す、若きファッショニスタの間でカリスマ的人気を博します。
次第に、ワイズの真っ黒なオーバーサイズのワードローブに身を包む若者がトレンドセッターとして注目を集めます。
1981年パリコレデビュー
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1977年からワイズとして東京コレクションを行っていた山本耀司氏は、1981年にパリでコレクションを行います。
当時のパリコレはネオンカラーをメインとした身体のラインが協調されるワードローブがトレンドとされていました。
しかし、山本耀司氏は、オールブラックの身体のラインを隠した、オーバーサイズのレイヤードスタイルを発表。トレンドとは、真逆のスタイルを発表したことで、パリコレクションに衝撃を与えます。
フランスでは痛烈な非難を浴びたファーストコレクション
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当時タブーとされていた「黒」を前面に押し出した山本耀司氏のコレクションは「黒の衝撃」と称され、批判的な意見が多数でした。
コレクションを行ったパリでは「まるで広島の原爆を彷彿させるようだ」と痛烈な批判を浴びます。
しかし、同時に山本耀司氏のトレンドに媚びない骨太な姿勢と、黒を基調としながらも、軽やかな空気を感じさせるワードローブのレイヤードスタイルを好意的に受け取ったファッション関係者が多かったことも事実です。
「ジャパニーズモード=黒」のイメージをパリで浸透させた人物は、山本耀司してあることは間違いありません。
パリコレデビューを果たした1981年にヨウジヤマモトをローンチさせます。
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1990年代以降様々な作品へ衣装提供
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1989年、ヴィム・ヴェンダースによるドキュメント映画「都市とモードのビデオノート」発表。
この作品により山本耀司氏にさらに注目が集まります。
1999年の坂本龍一によるオペラ「LIFE」の衣装を担当をきっかけに、2001年 北野武監督映画「BROTHER」の衣装を担当します。BROTHER以降、北野武監督映画のすべての作品の衣装を担当。
北野武氏自身も衣装も含めほとんどのワードローブが山本耀司氏のブランドであるとインタビューでも語っています。
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1994年芸術文化勲章「シュバリエ」を受章
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非難から始まったパリでのデビューでしたが、1994年にフランスより芸術文化勲章「シュバリエ」を受章します。
2002年Y-3のクリエイティブディレクター就任
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アディダスとの共同ブランドである、Y-3のクリエイティブディレクターに就任。
パリでY-3を発表してい以降、精力的にランウェイコレクションを行っています。
2005年「オフィシエ」を受章
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2005年にはフランス国家功労勲章「オフィシエ」を受章します。
2011年「コマンドゥール」を受章
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2011年には、フランス芸術文化勲章「コマンドゥール」を受章します。
コマンデュールは、フランスの芸術文化勲章の最高位。
2018年単独ライブを開催
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ファッションデザイナーであると同時にシンガーソングライターとしても活動する山本耀司氏。
2018年には約19年ぶりとなる、単独ライブをブルーノート東京にて開催しました。
まとめ
ファッション界のレジェンドであり、モード界の永遠の異端児である山本耀司氏。
ジャパニーズモードの媚びない姿勢を世界に知らしめた先駆者である山本耀司氏は、現在もトップランナーとして走り続けています。
最近は特にヤングファッショニスタから高い人気を誇る山本耀司氏のワードローブ。親子で山本耀司氏のファンを公言するファッショニスタも多いといいます。
70を優に過ぎても衰えることのないクリエイティビティとバイタリティを持ち合わせる山本耀司氏は、いい意味で丸くなることはないような気がします。
インテリジェンスな永遠の異端児から今後も目が離せません。